【らんまん】料亭みさと(巳佐登)は実在?モデル店の名前・場所・現在を調査!【叔母みえの店】

らんまん寿恵子が仲居に!料亭みさとは実在した?モデル店の名前や場所も調査!叔母みえの店「巳佐登」
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2023年の朝の連続テレビ小説「らんまん」。

第21週から、寿恵子が叔母みえ経営の料亭で、仲居として働くことになりました。

この料亭「巳佐登(みさと)」は、東京新橋にある設定ですが、本当に実在したのでしょうか?

そこで今回は、朝ドラ「らんまん」で寿恵子の叔母みえが経営する料亭のモデルの店、場所や現在についてまとめました。

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目次

【らんまん】叔母みえの店:料亭みさと(巳佐登)のモデルは実在する?

寿恵子が料亭で働く様子

朝ドラ「らんまん」で、浜辺美波さん演じる寿恵子が仲居として働くことになりました。

その勤務先が、叔母の笠崎みえ(宮澤エマ)が経営する料亭です。

この料亭の名前は「巳佐登(読み方:みさと)」

ドラマ内では、東京・新橋にあり、政府御用達の店とされています。

叔母のみえは、チャキチャキとした性格で、何かと世話を焼いていましたが、こんなに立派な料亭を経営する女将だとは驚きでした!

気になるのは、この料亭「みさと」のモデルとなった店は実在するのか?という点です。

調査したところ、そもそも「叔母みえ」についての記録がなく、叔母が実在していたのかも定かではありませんでした。

そのため、料亭で寿恵子が仲居として働いていたのかも確認することができないのです。

ただ、牧野家は借金がかさんでいたため、寿恵子はさまざまな方法でお金を工面しようとしていたに違いありません。

これが実際の話である可能性もゼロではないでしょう。

また、寿恵子自身が経営を始めた”ある店”についての記述がありましたので、次に詳しく紹介していきますね!

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【らんまん】料亭は寿恵子が経営していた!場所や名前は?

寿恵子のモデルとなった牧野寿衛さんについては、実は「経営のセンスがあった」ことで知られています。

牧野寿衛
引用:NHK高知放送局

寿衛は48歳の時、家計を支えるため、「待合(まちあい)」の経営に乗り出しました。

待合とは、明治から昭和期にかけて待ち合わせや会合のために場所を提供する貸席業です。

ざっくりいうと、お役人や実業家らが利用する高級料亭で、芸妓を呼んで宴席や密談が行われるところ。

まさに、ドラマ内で叔母みえが経営する料亭「みさと」と似ていますね!

実際に、寿衛が開いた料亭の名前は、実家の別姓にちなんで「いまむら」

場所は、渋谷の荒木山(現渋谷区円山町)だったそうです。

当時、牧野家が住んでいたのもこの地域。

この地域は「花街」として知られ、政治家や実業家が集まる待合が多く並んでいたんだとか。

寿衛は資本金3円で小さな一軒家を購入し、待合を経営することを決めました。

自叙伝によれば、牧野博士は驚いたらしいですが、英断だと受け止めたそうです。

この料亭「いまむら」は、寿衛の人柄や接客で評判となり、経営も順調だったんだとか!

ただ、待合=水商売と思う人もおり、当時大学の講師をしていた夫の評判が落ちないよう、寿衛は別居して店をやっていたそうです。

ドラマ内でもこのエピソードが出てくるのかはまだわかりませんが、寿恵子の男気のある性格を見ると、勢いでなんでもチャレンジしそうな気がしてきますね!

なお、ドラマ内で人気芸者の菊千代役を演じる女優さんについては、こちらの記事で紹介しています!

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【らんまん】料亭のその後や現在は?

寿衛が開いた待合(料亭)「いまむら」はその後どうなったのでしょうか?

この「いまむら」の経営は順調だったのですが、長くは続かずに貸し倒れになって閉店したことがわかっています。

1933年の関東大震災の影響もあり、寿衛は「いまむら」を売却することを決断。

当時、移住者が増えていた「武蔵野」に家を建てることとします。

自叙伝によれば、寿衛は、

ここに建てた家の標本館を中心として素敵な植物園をこしらえましょう

と牧野博士に提案したそうです。

この時、牧野博士は64歳、寿衛は52歳です。

牧野博士と寿衛
引用:nippon.com

牧野家は初めて自分たちの家を持ち、家賃を払えずに苦労することも無くなりました。

この自宅は、現在も「練馬区立牧野記念庭園」として残っています。

住所

〒178-0063 東京都練馬区東大泉6丁目34−4

「いまむら」を売却してできた資金で、家を建てることができ、現在は記念館に・・・。

この一連の流れを考えると、寿衛が「待合ビジネス」に目をつけたからこそ、家を建てることができ、博士も一層研究に打ち込むことができたのでしょうね!

ここからはネタバレを若干含みますので、知りたくない方はご注意ください!

ただ、今までの苦労が祟ってか、その後、寿衛は体調を崩し、入退院を繰り返すことに・・・。

残念ながら、自宅完成後わずか2年で、寿衛は永眠(昭和3年)してしまいます。

亡くなる直前、牧野博士は仙台で発見した新種のササを自宅の庭に移植し、

亡き妻を偲んで、そのササに「スエコザサ」と命名しています。

ドラマ「らんまん」でも、寿恵子を笹に例えるシーンがありましたね。

大抵の草花は茎の先端から成長するけんど、笹は違う。
グンと伸びて一気に背を伸ばす。
それに笹は厳しい場所でもしっかり根を張る。
飛び抜けて生きる力が強いがじゃ。

引用:MANTANWEB(2023/8/9)

ササのようにたくましく生涯を生き抜いた寿衛。

別れが近づくのが悲しいですが、ドラマでは今後どのように描かれるのか、見守っていきましょう。

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まとめ

今回は、朝ドラ「らんまん」で寿恵子が働くことになった叔母の店について取り上げました。

叔母みえの店、料亭みさと(巳佐登)のモデルが実在しているのかは不明ですが、似たような店を寿衛(寿恵子のモデル)自身が経営していたことがわかりました。

その場所は、当時花街として栄えていた「渋谷区円山町」周辺。

その後閉店したものの、売却資金で牧野家は家を建てることができ、現在も記念館として残っています。

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